なぜカナダ人パイロットが零戦を操縦したのか?
1941年、カナダのブリティッシュ・コロンビア州で日本人が暮らしていたことがあります。その中には、1937年の日中戦争が始まり、中国を襲撃した時に、河南省の洛陽市にある中央飛行学校を占領し、「八五艦隊」の1部として空襲を行った、11名の日本軍パイロットがいました。
後に彼らは、連合国側に捕虜として収容され、ブリティッシュコロンビア州にあるカナダの捕虜収容所に移送されます。そこで、英国空軍が組織する、パイロットを養成する学校に送られ、それらの捕虜達は、英国空軍の一員として、敵国である日本軍に対して戦うためのフライトトレーニングを受けました。
その中には、後に彼らの国、日本に戻って再びパイロットとして戦った者もいました。彼らの戦闘機は、もちろん戦時中に敵国から鹵獲された機体ですが、一部の者が日本に戻った後に操縦したのが、「零戦」でした。
零戦のスペック
「零戦」とは、日本陸海軍が開発した戦闘機で、第二次世界大戦時に使用されました。
この機体は、高い機動性能や高速性能を持ち、太平洋戦争後半には、日本海軍の主力戦闘機となっていました。また、航続距離が長いことから、太平洋上での運用能力も高く、当時の連合国側の戦闘機よりも機体性能が優れていたものの、最終型の零戦では、幾つかの問題があり、量産された機数は少なかったとされています。
特に、機体構造や機体材質に問題があったことと、エンジンに対する応力が大きかったことが挙げられます。このため、最終型に対する改善が進んでいなかったことから、開発に対する予算を捻出するために、同じような機体を連チャンして開発することになったとも言われています。
日本軍の零戦は、カナダ人でも操縦することができた程操作性が良く、当時の技術力からすると、優れた機体であったと言えます。
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