1. 足利義政の好きなものは「お菓子」だった
室町時代の将軍・足利義政は、お菓子作りが趣味であったことで知られています。彼は自分でお菓子を作り、友人や将軍家の家臣に振る舞ったと言われています。また、彼が好んで作ったという「鼈甲菓子」は、宮廷料理を代表するひとつとして今でも作られています。
2. 織田信長が付けた「丹羽氏」の名は祖先の戦功に由来する
織田信長が自らの家臣である丹羽氏につけた名前は、彼らの祖先である丹羽長秀が、永正元年(1504年)に起こった「越前守護代合戦」において戦功を挙げたことに由来します。当時、丹羽長秀は婚儀のために越前にいたところ、急遽起こった合戦に参加して戦功をあげました。
3. 徳川家康が江戸に開いた「浄閑寺」は、元は青蓮院門跡の寺院であった
江戸幕府を開いた徳川家康が、自身の菩提を弔うために江戸に開いた寺院「浄閑寺」は、もともと京都にあった青蓮院門跡の寺院でした。家康が京都から持ち込んだとされる黒澤石を使用した塔婆や、家康自身の手で描かれたとされる「方丈記図屏風」などが残っています。
4. 幕府の「定免許制度」では、人々が「自由になるため」にお金を払っていた
江戸幕府が定めた「定免許制度」とは、各商工業者に対して一定額の金銭を納めることにより、その分野での独占的な事業活動を認める制度でした。これにより、金銭を払うことで任意に商業活動を行うことができるようになったため、「自由になるためにお金を払う」という逆説的な制度となっています。
5. 最後の幕末の大名・松平慶永は「薩摩出身」と言われる
江戸時代末期、薩摩藩や長州藩の尊王攘夷派による攘夷運動が激化する中、薩摩藩士であった松平慶永は徳川家定に仕えながら尊王派として活躍し、長州藩と協力して薩長同盟を結びました。しかし、維新後になって公式な学問的研究により、松平家の家譜には薩摩藩出身者がいないことが明らかになりました。
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