江戸時代の風呂事情
江戸時代(1603年-1868年)において、日本の風呂事情はそれぞれの階層や地域によって異なっていました。江戸市内では、公共の銭湯が発達し、階層を問わず利用されていました。しかし、地方では個人の風呂場が主流でした。また、北海道や東北地方など寒冷地では薪や炭火を使った釜風呂が一般的でした。
江戸の銭湯事情
江戸で発展した銭湯は、元々は神社や仏閣などの場所で行われる病苦浴から発展しました。江戸時代に入ると、銭湯が公共の場所として発展し、日本全国に広がっていきました。江戸時代後期には、水道が設置され、銭湯における利用者はますます増加しました。
江戸時代の風呂場
江戸時代において、家庭で風呂を作ることは一般的ではありませんでした。一般家庭では、風呂場はなく、裕福な階級の家族は湯殿(ゆどの)と呼ばれる独立した風呂場を持っていました。一方、庶民の家庭では、町内で共同の湯船を使うことが一般的でした。また、ときには酒屋や旅館などが風呂場を備え、地域住民が利用することもありました。
江戸時代の釜風呂
江戸時代には、北海道や東北地方などの寒冷地では、薪や炭火を使った釜風呂が一般的でした。釜風呂は、広い浴槽に薪や炭火を使って温めたお湯を入れ、その湯に入ることで温まる風呂でした。当時は風呂椅子も存在しませんでしたので、石や木の板を利用して湯船に浸かる形式がとられました。
江戸時代の入浴方法
江戸時代に入浴する際は、体を洗ってから湯船に浸かることが一般的でした。また、家族で入る場合でも、男女兼用で入浴することが一般的でした。女性は風呂にはいる前に、湯殿の前にある小さな手水場で体を洗いました。湯船に入る際には、洗い場と湯船が別々になっている場合もありました。
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