陸上競技の歴史における不思議なエピソード

1. 最初のマラソン競技の誕生

近代オリンピックの創設者であるピエール・ド・クーベルタンは、1896年のアテネ大会において、古代ギリシャで行われていた伝説的なマラソン競技の再現を提案した。マラソン競技とは、現在のギリシャのマラソンとアテネを結ぶ約42.2kmの距離を走破する競技である。古代ギリシャ時代には、戦争でアテネが敗れた際、メッセンジャーがマラソンからアテネまで大事な報告を届ける際に走ったとされている。

2. 女子競技陸上競技の遅れ

現在では男女問わず競技者が参加可能な陸上競技だが、実際に女子競技がオリンピックに採用されたのは1928年のアムステルダム大会からである。それまでの女子競技は男性的な運動と見なされ、体力的に不適格とされていた。しかし、女子競技も男子競技に遅れることなく発展しており、現在では数多くの女子競技者が活躍している。

3. 常識破りのリレー競技

リレー競技は、複数の競技者が交代で走り、バトンをつないでチームで走る競技である。しかし、1936年のベルリン大会でアメリカのバレッドリームチームが、バトンを落とし、残り1人で走り切り、金メダルを獲得した。このエピソードから、「バトンの落とし方も勉強しなければならない」という言葉が生まれた。

4. スマートフォンでスタート確認

競技者が良いスタートを切るためには、スタートの合図に合わせて走り出す必要がある。しかし、2012年のロンドン大会で、スターターが腕時計のスタート機能を不具合で使用できなくなり、代わりにスマートフォンでスタート確認をした。このエピソードから、「スマートフォン万能説」が広まった。

5. 勝利の瞬間にハットトリック

ハットトリックとは、1試合で3点以上を取ることをいう。陸上競技では、速度走の競技である100m、200m、400mの3種目での優勝を総称して「スプリントハットトリック」と呼ぶ。1996年のアトランタ大会で、アメリカのマイケル・ジョンソン選手が、200m、400m、4×400mリレー競技で優勝し、勝利の瞬間にスプリントハットトリックを達成した。


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