マルコ・ポーロは中国を旅した最初のヨーロッパ人ではない!

マルコ・ポーロ

マルコ・ポーロは、イタリアのヴェネツィア共和国の商人であり、13世紀に中国に旅したことで有名である。彼の旅行記『東方見聞録』は、ヨーロッパで最も有名な旅行記の一つであり、中国との交流に関する貴重な資料となっている。

中国を旅した最初のヨーロッパ人

しかし、実はマルコ・ポーロは中国を旅した最初のヨーロッパ人ではない。実は、古代ローマ帝国時代には、ローマ帝国の領土拡大と貿易の一環として、中国と交流を持つことを試みた人々がいた。

古代ローマと中国の交流

紀元前166年、ローマ元老院は、貿易の拡大を目的として、中国(当時は「漢」の王朝)との直接的な交流を試みることを決定した。このため、ローマの元老院は数人の商人を派遣し、中国南部の広東省(当時は広州と呼ばれていた)に向かわせた。

広州の経路

商人たちは、インドのマレーバール海岸から東南アジアのセリビオン(シンガポール)を経由して、広州に到着した。このルートは、マルコ・ポーロが旅したルートとは異なるが、交易品は共通していた。当時、中国はシルク、陶磁器、香辛料などの貴重品を輸出しており、これらの商品は、ローマ市場で非常に人気があった。

交易の成果

ローマ人たちは、中国製品を買うために巨額の銀を払った。そのため、ローマ元老院は、巨額の銀が国外に流出することを懸念し、交易を停止した。しかし、東方からの商品に対する需要は絶えず、他のルートを模索するために、交易は再開された。

結論

結局、古代ローマと中国の交易は、ローマ帝国の崩壊とともに終わりを迎えたが、中国とヨーロッパの国々の交流が始まるきっかけとなった。そして、マルコ・ポーロが中国に渡航したのは、800年後のことである。


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