江戸時代の年齢の数え方とは
江戸時代には、年齢の数え方が現代とは異なっていました。日本で広く受け入れられるようになった西暦を使った数え方ではなく、干支(えと)を使った数え方であったのです。
干支とは、中国の暦である『干支暦』に基づいた十二支の紹介です。子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥があり、一年を周期とし59年でまた初めに戻る周期暦のことを言います。
なぜ「婆さんの年は二回ある」と言われていたのか
江戸時代の年齢の数え方は、10歳から数え始めて、満年齢になるのに1歳余分にカウントします。そして、元日に一つ年を取ることになり、データを扱いやすくするため、1年間だけカレンダーとは乖離した2回の誕生日を持っていたとされています。
したがって、年齢が一つ増えるのは元日であっても、誕生日も持っているため、一年に2回“誕生日”を祝うことになります。これが「婆さんの年は二回ある」という言葉の由来です。
まとめ
江戸時代には、年齢の数え方が現代とは異なっており、干支を使った数え方でした。年齢が一つ増えるのは元日であっても、誕生日も持っているため、一年に2回“誕生日”を祝うことになり、それが「婆さんの年は二回ある」という言葉の由来だったのです。
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